J S O 定期公演 vo l .4 6 有馬みどり ピアノ リサイタル

ベートーヴェン 全曲演奏会Vol.Ⅵ Produce by 山村雅治

〈プログラム〉

・第22番 へ長調 Op.54⦆

・第23番 へ短調 Op.57「 熱情」

・第24番 嬰ヘ長調 Op.78 「テレーゼ」

・第25番 ト長調 Op.79

・第26番 変ホ長調 Op.81a 「告別」

2018年 9月22日(PM2:00 開演 (PM1:30 開場)

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兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院 小ホール

兵庫県西宮市高松町2-22 ★阪急神戸線 西宮北口駅 南改札口より徒歩2分

入場料 全席自由 500円

芸術文化センターチケットオフィス (2月23日から発売)

兵庫県西宮市高松町2-22 TEL 0798-68-0255

営業時間 10:00~17:00 月曜休み ※祝日の場合翌日

JSOチケットオフィス   0120-961-891

営業時間 10:00~17:00( 土日祝日休み)

(JSOホームページ www.jso-music.com でもチケットWEB販売中


Memories Vol. Ⅳ-Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

ベートーヴェン連続演奏会 Produce by山村雅治


自由と孤独―― 山村雅治

Ⅰ <有馬みどり ベートーヴェン連続演奏会>

Vol.Ⅳ(4)に寄せて

2015年の夏に有馬みどりから「ベートーヴェンのピアノソナタ全曲を連続演奏会で開きたい」と明かされ、その第1回は2016年2月28日に幕を開けた。

彼女は32曲あるソナタをどう分けて弾いていくかを熟考した。ピアニストによっては一回ごとに題名がついている有名曲を入れて進めていく。かつて山村サロンの企画で、ダルムシュタットのピアニスト、ペーター・シュマールフースにベートーヴェンの連続演奏会を提案したことがあった。彼は喜んだ。「ドイツでさえベートーヴェンのソナタを演奏したいといったら『月光』『悲愴』『熱情』ばかり弾かされるんだ!」と。ピアニストの表現意欲よりも興行主は会場が聴衆で埋まってほしい。日本の著名なピアニストが同様の企画を通して実現させたときには有名曲がプログラムにある夜は大ホールで、後期のソナタの夜には小ホールが会場に選ばれたという嘘のような本当の話がある。1998年4月に実現したシュマールフースの連続演奏会では20曲を6夜にわたって演奏していただいた。構成はいっさいを彼に任せたが、一夜ごとに題名のついた曲があり、なかったのは後期3曲の最終夜だけだった。

有馬みどりは番号順、年代順に演奏していくことを決めた。山村サロンは聴衆が多かろうが少なかろうが、いいと思ったら断行する場だった。だから現代音楽も積極的に推し進めてきたし、認めた演奏家にならばどんどん背中を押して舞台に立ってもらってきた。200人までの小さなホールは実験の場であってもいっこうに差し支えなかったのだ。だからその意気やよし。初回のプログラムが「第1番」から「第4番」までの4曲で、ピアノ学習者ならともかく一般の音楽ファンには初めて聴く曲ばかりだったのではないか。

<有馬みどり ベートーヴェン連続演奏会>第1回。2016年2月28日。

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第1番 へ短調 Op.2-1

:ピアノソナタ 第2番 イ長調 Op.2-2

:ピアノソナタ 第3番 ハ長調 Op.2-3

:ピアノソナタ 第4番 変ホ長調 Op.7

 第4番の最終音が響き終わるやいなや、会場から熱い「ブラヴォー」の声が炸裂した。有馬みどりは、たたかいに勝ったのだ。たった一人に戻った音楽家の目で楽譜を読み、響きを探り大胆かつ細心に鳴らし、すでにして野人のベートーヴェンを余すところなく伝えていた。

この夜、ベートーヴェンのピアノソナタを作品順、番号順に進めていくことが生み出す途方もなく豊かに実る果実の山を思った。

 一般の音楽ファンは、まず演奏家から入る。その人が演奏するから聴く。音楽には実演にふれるか、あるいは自分で鳴らすかしかなかった19世紀を経て、20世紀に入るとエジソンが蓄音機を発明し次いでベルリナーが蝋管から平円盤をつくり、その結果普及した1分間に78回転のシェラック盤を鉄の針で聴くSPレコードに、音楽家たちは一期一会の演奏を刻みつけた。混ざり合う時代はあっても、音楽は次第に作曲家から演奏家の時代へと移行して20世紀は「演奏家の時代」になった。カルーソーやメルバの歌、クライスラーやティボーのヴァイオリン、パハマンやコルトーのピアノ、カザルスのチェロ、トスカニーニやワルターの指揮を遠い演奏会場に足を運ばなくても、自宅でいながらにして聴ける。LP、CDの時代の現代にいたるまで音楽の普及は誰の演奏によるかが大きな比重を占めてきた。

 初めてクラシック音楽に触れて聴きはじめるファンはそんな人ばかりだろう。1960年代からは指揮者カラヤンの人気が絶大なものがあり、レコード店には「カラヤンをくれ!」と、曲は何でもいい客が来た。シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンの新ウィーン楽派の3枚組のアルバムさえ商業的に成功を収めた。1970年代にはピアニストのグレン・グールドか。グールドが演奏しているからギボンズとバードの音楽が世に知れ渡ったのだ。演奏家の魅力は、演奏家が持つレパートリーの広さがあれば音楽ファンの聴く音楽のレパートリーを増やす力があった。

 有馬みどりは3歳から母親の手ほどきでピアノを始め、1992年単身ロシアへ渡り、国立モスクワ音楽院付属中央音楽学校 ピアノ科に入学。1995年同校終了。2002年Australian Institute of Music(Sydney) に奨学金を得て入学。帰国後はロシア仕込みのラフマニノフやプロコフィエフを弾き、大きな演奏会は2011年、リストの『超絶技巧練習曲』全曲を全国3か所で弾く壮挙を遂げた。このときの「ぶらあぼ」誌2011年10月号にインタビュー記事が掲載された。

 ここには彼女の肉声がきこえる。「リストの世界をつきつめてみたい、との思いにとらわれていた。リストが持つ技巧と表現のすべてを描いた、極めてリストらしい個性を物語る」作品は、「人間の醜い部分や、弱い部分もありのままに受け入れるような、そんな懐の深さを感じ、不思議と私たちに近い存在と感じる」ものだ。

また、『超絶技巧練習曲』Études d'exécution transcendanteという「原題を直訳すれば『超越したもの、理性を越えたもの』との解釈が正しいようです。私自身、ある時期までは表面的にしか見ることができなかったのですが、勉強を深める中で、これまでに気づくことがなかった深く、豊かな世界が垣間見えるようになってきました」。

「この曲集はリストが15歳のときに書いた作品1として書かれた後も25年にわたって手が加えられいま知られているような形になりました。その間、当時の混沌としたヨーロッパの文学、絵画、詩、風景、そして愛…リストが触れた有形無形のあらゆるものが濾過されて、リストの言葉となりました。まずはリストを丸ごと咀嚼して体感したい…との思いから、この『超絶技巧練習曲』の取り上げることにしたのです」。

音楽に対するこの態度がたまらく好きだ。身につけた技巧を誇示することを目的とするのではなく、作曲家その人を作品を通して生きたい。この姿勢には共感を覚える以上に、すべての演奏家が有馬みどりを範とすればいいと思う。舞台に立てばさまざまな誘いがあるだろう。暗い客席の視線は明るく照らされた舞台で演奏する自分に集中される。俺を聴け。私を見なさい。そのような自己顕示への果てがなく終わりがない欲望とは、有馬みどりは早くから別れている。子供のときからの厳しい研鑽とロシアでの孤独な少女時代は、いまもまちがいなく生きている。死ぬか生きるか、ぎりぎりのピアノを弾かなければならない。いったん鍵盤に立ち向かえば、自分の感性と技術をあらんかぎりに音楽に奉仕して、最終に立ちあがる大きな像は、演奏家その人ではなくて、そこにはいないけれども奏でられる音楽そのものを通じての作曲家でなければならない。

 

 20世紀のレコード産業が生み出した「演奏家の時代」にさえ、いまも聴き継がれる名演奏家は作曲家の作品そのものを輝かせて、作曲家に

心からの拍手と感謝を捧げていた。ソプラノのマリア・カラスのオペラ全曲盤にもこれは感じて思わず涙が出てきたことがある。

有馬みどりは「演奏家」である自分よりも、演奏する楽譜を書いた「作曲家」を聴いてほしいと願う。来たるべき第2回のもこの基本の姿勢は貫かれるだろう。

<有馬みどり ベートーヴェン連続演奏会>第2回。2016年7月31日

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第5番 ハ短調 Op.10-1

:ピアノソナタ 第6番 へ長調 Op.10-2

:ピアノソナタ 第7番 ニ長調 Op.10-3

:ピアノソナタ 第8番 ハ短調 Op.13 「悲愴」

 当夜のなまの感想を日記に書いている。採録すれば、

<今日のサロンは有馬みどりさんのベートーヴェン。ソナタ連続演奏会の第2回で「5」「6」「7」、そして「8・悲愴」。以前にもまして、なおすばらしい演奏に聴き入った。

「5」の冒頭から、この日に賭けた気迫が伝わる。スコアを読みぬき、考えに考えての結論として、堂々たるテンポでリズムが踏みしめられた。特筆すべきは「6」の第1楽章で、松本氏の調律・調整もあいまって千変万化の音色の変化を楽しませてくれた。つまり、みどりさんは巧くもなった!

大きなピアニストに化けることを、やがて別会場で中期・後期を弾かれるときには誰の耳にも明らかになるだろう。彼女の背中を押してよかった。われ知らず涙がこぼれたのは「8・悲愴」の冒頭の和音を聴いた瞬間だった。紛れもないベートーヴェンのハ短調の和音が決まった。その響きしかなかった!>。

 番号順、年代順に演奏されてきて、当夜の最終曲が「8番・悲愴大ソナタ(Grande Sonate pathétique)」だったことはピアニストにとっても聴衆にとっても幸せだった。ベートーヴェンのピアノソナタのなかでも「14番・月光」と「23番・熱情」と並んで有名な曲であり、初期の代表作というよりも、中期の烈しさや自己表白の熱さは中期を先取りしていた傑作だ。とくに第一楽章は力強いグラーヴェにはじまる交響楽のような逞しさを備える。モーツァルトもハ短調のピアノソナタ(K457)を書いていたが、意識するところがあったと思わせる。内向するモーツァルトのハ短調から歩を進めて、ベートーヴェンは音楽を外に向かって開いた。

山村サロンは2016年8月31日をもって幕を下ろした。第3回は西宮芸文小ホールの場所を移して開かれることになった。

<有馬みどり ベートーヴェン連続演奏会>第3回。2016年12月22日。

ベートーヴェン/ピアノソナタ第9番 ホ長調 作品14-1

/ピアノソナタ 第10 番 ト長調 作品14-2

/ピアノソナタ 第19番 ト短調 作品49-1

/ピアノソナタ 第20番 ト長調 作品49-2

/ピアノソナタ 第11番 変ロ長調 作品22

当夜記した日記を採録する。

<今夜は西宮芸文小ホールで有馬みどりさんのベートーヴェン「ソナタ連続演奏会」の第3夜。第2夜までを山村サロンでやり、今夜はその続きを場所を移して。女性のドレスを脱ぎスて、黒いパンツスーツで舞台に出てきた彼女は、すでに外面を飾る虚飾からいっさい離れていた。ピアノは終始自信に満ちた響きで打鍵された。

第1曲「9番」の冒頭から自信に支えられて

落ち着きがあり、すべての細部にわたって美しかった。膨大な練習量だったと思う。しかし苦闘は背後に隠され、みどりさんは鍵盤の上で自由だった。助走をつけて跳びあがる。そして天を滑空して美しい音色で虹を描く。

「10番」のリズムも語りも落ち着いたテンポで。弾き飛ばされる音符はひとつもなく、フレージングの始末が清潔だ。ソナチネ2曲も同じく、大きなソナタに肩を並べる作品として。「11番」では左手の強靭さが雄弁だった。走句が勢いがついて勝手にその低音に着地するかのように。

全体を通じては、まず形式感が研ぎ澄まされた。曲の構造そのものが転調に伴う音色の変化とともに立ち上がってきた。舞台に上がるごとに、みどりさんは新しい姿を見せてくれる。当日プログラムには「山村雅治プロデュース」と文字が打たれていた。胸を張ろうと思う>。

ソナチネとして知られる「19番」と「20番」は全曲の完成は1798年であると考えられている。弟子の練習曲の「2つのやさしいソナタ(Deux Sonates Faciles)」。この回に演奏されてしかるべき曲だった。

プログラム解説

<有馬みどり ベートーヴェン連続演奏会>Vol.Ⅳ

曲目解説

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第12番 変イ長調 Op.26 「葬送」

:ピアノソナタ 第15番 ニ長調 Op.28

:ピアノソナタ 第13番 変ホ長調 Op.27-1

:ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2 「月光」

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンLudwig van Beethoven(1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)の音楽は、21世紀のいまもなお生々しく語りかけてくる。およそ200年も前につくられた音楽の生命は果てることを知らない。

4歳のころから父親に音楽の苛烈な教育を受け、一時は音楽に嫌悪を抱いたものの、1782年、11歳でネーフェ先生にめぐりあった。彼はベートーヴェンの才能を愛し、習作の出版を勧めもしてくれた。1787年、ウィーンに旅して16歳のベートーヴェンはモーツァルトを訪問。しかし母親の重病の知らせが入り急遽ボンに戻った。ほどなくして母が死没。22歳になる1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンに才能を認められ弟子入りを許可された。同年11月にはウィーンに移住し、12月にはアルコール依存症に沈んだ父が亡くなりその桎梏からは解放されたものの、ハイドンはあまりに多忙でろくに指導できず、ベートーヴェンは不満を抱いて宮廷楽長サリエリにも師事した。

たゆむことない音楽の修業ののち、自信をもって作品番号をつけて出版したのが「作品1-1」「1-2」「1-3」の三曲の「ピアノ三重奏曲」だった。ピアノソナタは次の作品だ。「作品2-1」「2-2」「2-3」の「第1番」「第2番」、そして「第3番」。以後、ベートーヴェンはピアノソナタを1822年の作品111「第32番」まで、ほぼ生涯にわたって書いていくことになる。ピアノソナタと同じように初期・中期・後期の作風の変遷が刻まれた種目は、いうまでもなく9曲の交響曲と弦楽四重奏曲だ。わけてもピアノソナタは、若いときからピアニストとして生きてきた彼には最も身近な楽器であり、即興演奏に興じて飽きることがなかった。その場その時の音楽の感興にしたがって弾いた曲を、彼はその通りに楽譜に書くことができた。ある主題に基づいた即興は変奏をかさねて音楽の時空を広げていく。また深めてゆきもする。

ベートーヴェンが初めてのピアノ独奏曲として出版したのは1782年の『ドレスラー変奏曲 WoO63』だった。ソナタ「第1番」が出されるまでに彼は変奏曲集を6曲も公に出していた。「第12番・葬送」の冒頭楽章が<アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ>(変奏つきアンダンテ)で始められたことは、それまでのソナタの伝統からの別れを告げることだった。

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第12番 変イ長調 Op.26 「葬送」(1801)

第1楽章 アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ(変イ長調)

第2楽章 アレグロ・モルト(変イ長調)

第3楽章 マエストーソ・アンダンテ(変イ短調)

第4楽章 アレグロ(変イ長調)

 前作「第11番・グランドソナタ」は、若いベートーヴェンがハイドンやモーツァルトらのウィーンの伝統様式をすべて自由に操ることが示された自信作であり、それが書かれた1800年には同時に初期の代表作「弦楽四重奏曲」作品18の6曲が仕上げられ、「交響曲第1番」作品21が完成されていた。それらの作品が18世紀の最後の年に完成されたのは象徴的だ。そして1801年、19世紀の新時代の幕開けの年に「第12番・葬送」は書かれた。ソナタ形式の楽章に始まらない史上はじめてのピアノソナタだ。すべての楽章が変イを基音とし、葬送行進曲の楽章だけが短調で書かれる。はじめからまとまった曲として構想されたものではないにせよ、構築の独創は同時代の聴衆を唸らせただろう。後世にはショパンがこの曲を愛した。ショパンもまた2番目のソナタの3つ目の楽章に葬送行進曲を書いた。

 

 第1楽章はアンダンテのゆったりとした美しい主題が提示されて、委曲を尽くした5つの変奏がくりひろげられる。スビト・ピアノの効果がめざましい。クレッシェンドのあとの弱音のおどろき。さらには最終変奏での高音のトリルは、後年Op.109「第30番」で再現された手法だ。第2楽章は前後の楽章との対比がきわだつ三部形式のスケルツォ。アクセントのつけかたがおもしろい。第3楽章をベートーヴェンは<ある英雄の死による葬送行進曲>と名づけた。三部形式で、中間部にはティンパニのロールに擬した響きに金管楽器を模した響きが現われる。行進曲の和声進行が独創的だ。第4楽章はアレグロのロンド形式。重苦しさを吹き払うような風が吹く。

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第15番 二長調 Op.28 「田園」(1801)

第1楽章 アレグロ(二長調)

第2楽章 アンダンテ(二短調)

第3楽章 スケルツォ アレグロ・ヴィヴァーチェ(二長調)

第4楽章 ロンド アレグロ・マ・ノン・トロッポ(二長調)

 前三作には冒頭楽章にソナタ形式が用いられなかった。この曲ではふたたび以前のピアノソナタの形式に戻っている。また「第8番・悲愴」や「第13番・月光」にみられた烈しい情熱の噴出もない。ベートーヴェンの作品には激しさとやさしさの両面があり「怒れる獅子」そのものの音楽もあれば、とても人懐っこい音楽もある。「田園ソナタ」を近寄りがたい音楽に感じる人はいないだろう。

第1楽章を特徴づけるのは開始部の二音(D)の低音の連打。ティンパニを連想する人もバグパイプを感じる人もいる。第1主題は簡素で穏やかだ。第2主題はイ長調で歌われる。第2楽章はベートーヴェンが好んで弾いた曲だ。アンダンテ(歩くような速さ)で、と指定されたこの楽章の低音部はベートーヴェンの散歩の足どりを思わせる。ベートーヴェンが残した手記には自然の美しさを賛美する言葉がいくつも記されていた。弟子のツェルニーはこの楽章を「素朴な物語 - 過ぎし時のバラード」と呼んだ。終結部の不気味さと烈しさにはなにを秘めていたのだろう。第3楽章は三部形式のスケルツォ。ここには笑いがある。スケルツォは洋楽が日本に移入された時代には諧謔曲(かいぎゃくきょく)と訳された。イタリア語では冗談の意味があり、ベートーヴェンは交響曲やピアノソナタでは先人たちが書いたメヌエットに代わりスケルツォを書いた。中間部は農民の踊りのようだ。第4楽章はロンド。

異なる旋律を挟みながら、同じ旋律(ロンド主題)を何度も繰り返す形式。昔の訳語は輪舞曲もしくは回旋曲。冒頭にふたたびバグパイプが響く。高音部の旋律にヨーデルの歌声を聴いてもいい。

「第13番」(Op.27-1)と「第14番・月光」(Op.27-2)はともに『幻想曲風ソナタ』

"Sonata quasi una Fantasia")の表題がつけられて出版された。

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第13番 変ホ長調 Op.27-1 (1801)

第1楽章 アンダンテ‐アレグロ‐アンダンテ(変ホ長調)

第2楽章 アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェ(ハ短調)

第3楽章 アダージョ・コン・エスプレッショーネ(変イ長調)

第4楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ(変ホ長調)

(第3、第4楽章をひとつの楽章と捉え、3楽章構成とみることもできる)

 ベートーヴェンはこの2作品で大きな実験を試みた。当時の聴衆にとっては、まさに現代音楽に接する思いがしただろう。厳格な楽式にのっとったソナタと自由な幻想曲との融合が試みられている。明確なソナタ形式の音楽は「第14番・月光」の終楽章にようやく現れる。「第13番」にはソナタ形式の楽章がひとつもなく、さらにはすべての楽章を切れ目なしに演奏するように指示されている。また、それまでの作品では冒頭楽章に曲の性格を語らせていたが、この2曲では終楽章に曲の重心が置かれるようになった。のちに自ら切り拓いていく中期の傑作「交響曲第5番・運命」の造型は、すくなくともその祖型はここに創造されていた。

 第1楽章はなにげなく柔和な主題で始められる。中間部はハ長調の烈しい八分の六拍子の舞曲。ハ短調を経て変ホ長調に戻り、アンダンテ主題が回帰する。音を減らしていく終結部から休みなしで続く第2楽章。明記されていないがスケルツォだろう。次に続く第3楽章アダージョは終楽章への導入部ではなく、ABAのまとまった形式をもっている。アレグロの第4楽章は変ホ長調に戻る。ロンド形式ではあるけれども、提示部の反復がないソナタ形式にみえる。ベートーヴェンの隠れた力作だ。

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2 「月光」 (1801)

第1楽章 アダージョ・ソステヌート(嬰ハ短調)

第2楽章 アレグレット(変ニ長調)

第3楽章 プレスト・アジタート(嬰ハ短調)

 ベートーヴェンのピアノソナタのなかでは最もよく知られた曲。「不滅の恋人」とされてきた14歳も年下のジュリエッタ・グイッチャルディ伯爵令嬢に捧げられたこと。

また日本では戦前の尋常小学校の国語の教科書に、「月光の曲」と題する読み物が掲載されたことがあった。

<ベートーヴェンが月夜の街を散歩していると、ある家の中からピアノを弾く音が聞こえた。良く見てみるとそれは盲目の少女であった。感動したベートーヴェンはその家を訪れ、溢れる感情を元に即興演奏を行った。自分の家に帰ったベートーヴェンはその演奏を思い出しながら曲を書き上げた。これが「月光の曲」である>。

この物語は19世紀にヨーロッパで創作されたものだという。戦前のSPレコード・ファンにとっては「月光の曲」は、まず聴かなければならない音楽になった。

第1楽章は三連符の音型がとぎれることがない。その上に付点音符の旋律。三部形式で書かれているが、中間部もきわだつことはない。休みなく続けられる第2楽章。アレグレットの複合三部形式だがメヌエットでもスケルツォでもない。リストはこの楽章を「2つの深淵の間の一輪の花」にたとえた。激情がほとばしりを抑えられないかのような第3楽章は楽興に身を任せた即興の産物にも感じられ

るけれども、最も伝統に即したソナタ形式で書かれている。この第

1主題は第1楽章の3連符の動機を急速に展開させたものだ。

2曲の『幻想曲風ソナタ』の掉尾を飾る到達がここにあり、試みをつづけたベートーヴェンの孤独とここに得ることができた自由は美しい。これまでの誰のどの音楽でもこのソナタの第1楽章と第3楽章ほどの鮮烈な対比を鍵盤楽器で表したことはなかった。

 ベートーヴェンが求めてやまなかった自由とは、彼の音楽の個性の表現意欲に立ちはだかる旧来の無気力に見えた因習を打破し破壊する意志の発現だった。こうした人間は必然として社会からも歴史からも「たったひとり」の孤独を深めていかざるを得ない。彼自身に徹することで、それ自体を世界にも届かせ宇宙にも匹敵するかのような大きさに拡げていこうとした。

この自由と孤独という言葉を、作曲家・ベートーヴェンの高峰に迫っていくピアニスト・有馬みどりに捧げたい。


2016年12月22日

有馬みどり ベートーヴェン全曲リサイタル Vol.3(Ⅲ)によせて。

山村サロンの有馬みどり 山村雅治 プロデュース

1

 1986年11月に開館した芦屋の山村サロンは、能舞台の上にスタインウェイのピアノを置く、そして客席は寄木細工が敷きつめられた平場であり、その気になれば社交ダンスも宴席を設けることができる多目的な小ホールだった。能楽をはじめとする日本の伝統芸能と、私の好きなバロックから現代までの西洋音楽の会など、文化の各分野においての様々な催しが主催者の数だけ30年間にわたって展開されてきて、2016年8月末に幕を閉じた。

 サロンは多面体だった。能楽の人には能楽堂であり、タンゴが好きな人にはダンスホールに変わり、文学者を招いてお話を聞くときには講座会場になった。美術作品を並べれば展覧会場だし、飲食ができるので宴会場にも変貌した。そこに一本の芯を通そうとした。現代音楽ができる音楽会場にしようと思った。そのこけら落としは三宅榛名氏と高橋悠治氏にお願いして、音楽会場としての山村サロンの幕を開けた。一年たち、二年たつうちに、ここで音楽会を開きたいと申し出てくれる音楽家が徐々に増え、企画に協力してくれる人も現れた。そこから創立9年目の阪神淡路大震災の被災時には、さまざまな分野の音楽家が震災チャリティーコンサートを開く会場ともなり、彼らとはいまも交流が続いている。

 現代音楽は、震災後は芦屋近辺に住む久保洋子氏、野田燎氏、ピアニストの大井浩明氏らにより継続して続けてきたが、いわゆるクラシック音楽での山村サロンの音楽会の特色はまず、マックス・エッガー、アンリエット・ピュイグ=ロジェ、イェルク・デムス各氏をはじめとするヨーロッパの巨匠たちが、彼らを知る日本人によって山村サロンの舞台に立ったことだろう。作曲家ホアキン・ニン・クルメル、オーボエ奏者ピエール・ピエルロ、バンベルク響のコンサートマスターだったポゴスラフ・レバンドフスキー各氏らの演奏は忘れることができない。特色のもうひとつは、若い演奏者の背中を後押ししてきたことだ。両親に連れられてやってくる人は、諸条件などの話は両親とした。しかし、ただひとりで来て、体ごとぶつかってくる若い演奏者が訪れれば、その情熱に打たれた。いや、むしろそんな人こそ「小屋」は応援しなければならない。有馬みどりには、しかしこちらから声をかけずにはいられなかった。

 有馬みどりの演奏を初めて聴いたのは、2009年の神戸芸術センターでのプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」だった。ピアノ2台による演奏で彼女は第2ピアノを受け持っていた。その音彩が輝いていた。音色にリズムにいのちがあり、なによりも覇気に満ちていた。のみならず表現の痛切さ、大胆な表現が連続し、音楽家としての非凡さは明らかだった。のちに話を交わす機会を得たときに、日本での師が野島稔氏と聞いて、なるほどと思った。野島稔氏のルナホールでのシューベルト「ソナタ遺作 変ロ長調」は強く印象に残る。沈潜した思念から人間の命の底を凝視した演奏。人間が死ぬこと、生きることを深々と語っていた。ピアニストであると同時にまぎれもない芸術家であって、有馬みどりもまた、そんなピアニストだったのだ。その後は機会があれば彼女の演奏会へ行き、彼女のさまざまな創造のとき、あるいは試行錯誤の試みを聴いた。

2

 山村サロンの有馬みどりは、2012年9月.16日の<ヴァイオリンとピアノの昼下がり>

ヴェセリン・パラシュケヴォフ(ヴァイオリン)と有馬みどり(ピアノ)のデュオに始まった。

シューベルト:ヴァイリンとピアノのためのソナタ 第3番 ト短調 D.408

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 Op.24

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 二短調 Op.108

チャイコフスキー:憂鬱なセレナーデ メロディー ワルツ・スケルツォ

 人の縁がもたらした企画で、かつて「無伴奏」で出演していただいたパラシュケヴォフさんに有馬みどりが選ばれた。いずれは彼女にサロンでソロのリサイタルを、と願っていたのだが、いわば前哨戦がこのような素晴らしいかたちで実現した。彼女にとって、これはまたとない合奏の機会。中学卒業後、単身ロシアへ渡り国立モスクワ音楽院ピアノ科に学び卒業。そんな彼女が、ヘンリック・シェリングに師事し、1973年からウィーン・フィルのコンサートマスター、1975年からケルン放送交響楽団の第1コンサートマスターを務めたパラシュケヴォフと合わせることは、ドイツ・オーストリアの巨匠たちの音楽を極めていくための一里塚になったことだろう。

 シューベルトは「ソナチネ」とも呼ばれる。規模の小さなソナタで、教師生活をやめて作曲に没頭する生活を始めた1816年の作品だが、出版は没後の1836年を待たなければならなかった。コンサートを始めるにふさわしい佳曲。続けて演奏される。ベートーヴェンの「スプリング・ソナタ」は1801年の作品。音楽が好きな人は誰でも冒頭の旋律を知っている。有馬みどりはヴァイオリンが奏でる旋律を支えるピアノの音色、強弱、リズムのすべてに神経を張りめぐらせていた。楽譜は単純に見えるが、じっさいに音を出せば難しい。そして聴き物はブラームス。1888年に55歳で完成させた作品だが、晩年に向かうブラームスの作品はいよいよ研ぎ澄まされた美しさに底光りしていく。「諦観」があらわされるなどと書かれるけれども、私は彼の音楽に「諦観」など聴いたことがない。そのいくつかは、地上で最も美しい音楽だ。ヴァイオリン・ソナタ第3番も傑作のひとつ。同ソナタのなかで最も規模が大きい。構築はもはや「つくる意志」を抜けて自在なものを感じるし、曲の語る音楽は多彩であり、しかも響きが深い。この曲も冒頭に名旋律をもつ。パラシュケヴォフの音色は決して耽美に傾かず、むしろ微妙な影を宿したものだ。第2楽章の陰影と終楽章の光への情熱。有馬みどりも楽想に応じて敏感な音楽で縦横に支えていた。

 2度目は意外な形で訪れた。2013年7月29日の<坂口裕子ソプラノ・リサイタル>。ピアノ/有馬みどり。

山田耕筰:赤とんぼ、野薔薇、風に寄せてうたへる春のうた

C.ドビュッシー:忘れられた小唄

I.ピッツェッティ:ペトラルカの3つのソネット

F.リスト:ペトラルカの3つのソネット

(主催/Javatel Sound Operations 後援/株式会社ジャバテル、北新地 天ぷら ひらいし)

 坂口裕子氏はジュゼッペ・ヴェルディ国立音楽院を満点、最優秀賞で卒業。「ルチア」をレパートリーにもつオペラ歌手でもあり、このリサイタルのピアニストに有馬みどりを選んだ。その結果は上々。坂口さんが選んだプログラムはいわば通向きといえるものが主体で(ピツェッティの作品は、おそらく初めてお聴きになった方が多かっただろう)、広く知られているのは冒頭の『赤とんぼ』だけで、山田耕筰の歌曲では続いて『野薔薇』、『風に寄せてうたへる春のうた』4曲が歌われた。華やかなオペラの舞台の裏では、日本歌曲にも真正面から向き合って研鑽されていたのだ。声楽に合わせるのは初めてだったという有馬みどりさんのピアノも、前にヴァイオリンとのデュオをやった経験が生かされて、何も言うことはない。声楽は文字通りの人間が全身を使って奏でる声の楽器だ。「歌」の呼吸を、ピアニストは知らずに学び、体のなかに生かしていく。アンサンブルでは「人を生かす」「人の歌を引き出す」ことが求められる。その体験は、またソロに立ち返ったときに陰に陽に力になっていることだろう。

プログラムは音楽の多彩さを巡る旅であり、また3人の詩人の言葉を巡る旅でもあった。まず日本語で三木露風。次にフランス語でポール・ヴェルレーヌ。そしてイタリア語のフランチェスコ・ペトラルカ。きわめて濃密な時を聴衆を含めて、二人の音楽家とともに生きる音楽会になった。

 そしていよいよ、有馬みどりのソロ・リサイタルが開かれた。2013年11月23日の<有馬みどり ピアノ・リサイタル>。プログラムは以下の通りとなった。

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第11番 作品22 変ロ長調

Beethoven:Piano Sonata No.11, Op.22 B Dur

ブラームス:4つのバラード 作品10

Brahms:Balladen Op.10

シューベルト:さすらい人幻想曲 作品15 D760 ハ長調

Schubert: Wandererfantasie Op.15 (D.760) C Dur

ブラームスをリクエストした。そのブラームスはすばらしかった! パラシュケヴォフとの二重奏、その練習時間を通じて多くのことを発見したにちがいない。プログラムに現れた作曲家は、いずれもヴァイオリンとともに音楽を生きたベートーヴェン、ブラームス、シューベルトだ。冒頭、まずベートーヴェンの「11番」が演奏された。1800年に完成した、若い作曲家の自信作だ。出版された楽譜には「大ソナタ」(

Grande Sonate)と記されている。演奏は肩の力が抜けていらない力みがない。疾走して天翔るような始まりに、迷いが払拭された「あたらしい有馬みどり」を感じた。左手の低音のバスが終始的確に打たれて、小気味のいいベートーヴェンになった。若い作曲家の自信は、おそらくは作曲技法に関することもあったにちがいない。ハイドンやモーツァルトらのウィーンの伝統様式をすべて自由に操ることが示された。ベートーヴェンの<過去様式との別れ>であり、それゆえに胸を張ったのだ。

2曲目は「バラード」4曲。第1曲はスコットランドの民族詩「エドワード」に霊感を受けている。まだ若いブラームスの音楽は一見晦渋に見えるかもしれない。しかし、ひとつの出口を見つけると意外に判りやすい美しいピアノ曲なのだ。1854年に作曲された。この頃からクララ・シューマンへのブラームスの生涯にわたる愛が始まっている。ショパンやリストのバラードは激しいパトスを噴出させるものだった。ブラームスはちがう。大切な秘めた心を低い声で歌いぬく。心だけが音を超えて満ち溢れ、こぼれ落ち、まき散らされた香気が内面に沈み込んでいく。いずれは作品117、118、119など晩年のブラームスの世界を開いてみせていただきますように。

シューベルトの「さすらい人」は、第2楽章に自らの歌曲「さすらい人」の旋律を展開させたピアノ曲で、演奏は歌と合わせた体験が陰に陽に生かされていた。技巧曲でもあり、リストがこの曲に示唆されて「ソナタ ロ短調」を書いたともいわれる。有馬みどりは全身全霊をぶつけて「幻想曲」を生きた。

3

 2015年になった。ある夏の日、有馬みどりが山村サロンにやって来た。ひとつの突き詰めた決意を明かされた。ベートーヴェンのピアノ・ソナタを連続演奏会でやりたい。初めて聴いたとき以来、ほかの会場でも彼女の演奏を聴いてきた。ロシアに学んだ彼女は、あちこちをぶつかりながら自分の音楽を全体として表現できる音楽に、ベートーヴェンのソナタを選んだのだ。これは嬉しかった。ベートーヴェンは、私にとってもシェーンベルク、ブラームス、バッハに並ぶ格別の作曲家であり、語りたいこともたくさんある。

第1回は2016年2月28日。<有馬みどり ベートーヴェン連続演奏会>。

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第1番 へ短調 Op.2-1

:ピアノソナタ 第2番 イ長調 Op.2-2

:ピアノソナタ 第3番 ハ長調 Op.2-3

:ピアノソナタ 第4番 変ホ長調 Op.7

 

お客さまを集めようと思えば「月光」「悲愴」、そして「熱情」に限る。ダルムシュタットにいるピアニスト、旧友ペーター・シュマールフースは、「ベートーヴェン作品のリサイタルをやるときにはドイツでだってそうなんだ!」と嘆いていた。だから、これは彼女を知る会場でしかできなかった。

 作品2の3曲は、1795年ベートーヴェンが25歳になる年、ウィーンに移ってすぐにハイドンの前で弾かれた作品だ。第1作はヘ短調。ハイドンもモーツァルトもヘ短調の作品は、あまり書いていない。冒頭の主題はト短調で書かれたモーツァルトの「交響曲第40番」の終楽章を想い起こさせる。第1楽章全体を通じて、展開の中でも長調の部分は少なくて短調の響きに支配される。第2楽章はヘ長調のアリア形式。メヌエットは正統の三部形式。終楽章は、若いベートーヴェンの激情がフォルティッシモの指示や特徴的な分散和音に刻まれている。

第2作はイ長調。冒頭楽章の展開部はモーツァルトではなく、ハイドンの3部構成のフォルムで。そのなかで第58小節からのバスの上昇音型は革新的だ。第2楽章はさらに独創が際立つ。合唱音楽のようだ。こんなラルゴ楽章はかつてなかった。終楽章のロンドはモーツァルトに似る。

第3作はハ長調。第1楽章の親密な誰かから呼びかけられるような開始。進展して属調での休止のあと、属短調へのいきなりの転調。展開部は変ホ長調へと移行し、などと調性のことを書いていればきりがない。前2作よりも演奏効果に富む冒頭楽章であり、この作品全体が弾いても聴いても印象に残る所以になっている。第2楽章、アダージオは歌の連続であり、休符に感情の力を刻んでいる。スケルツォは伝統的な三部形式。中間部の旋律が頼もしい。終楽章は形式としてはモーツァルトのもので、演奏効果が高いのはベートーヴェンが、この頃にはまだ聴衆を相手に演奏ができたことを改めて思い起こさせる。これら3曲、意気軒高たる青年作曲家/ピアニストが個性を現わし、自らの能力を胸を張って示した作品だ。

第4番作品7。変ホ長調。この作品は長大な作品になった。「29番・ハンマークラヴィーア」の次に長い。冒頭楽章はかつては音楽大学の入学試験に使われた課題曲になり、思い出のある人も多いだろう。出だしからして弾くのは難しい。アクセントがおもしろい。第2楽章はラルゴ。表現力の豊かさが終結の直前に凝縮されて現われる。メヌエットも前作とはちがう。中間部のトリオの巧さはベートーヴェンは終生もっていた。終楽章も彼の作曲技法は自在に展開される。変ホ長調の作品では後年、管弦楽で「交響曲第

3番 英雄」が書かれることになる。

有馬みどりのベートーヴェン演奏会の初回は以上4曲。初期の4曲で「ブラヴォー」の声が出た。有馬みどりは、たった一人に戻った音楽家の目で楽譜を読んだ。低音を傍若無人に鳴らす思い切りの良さがベートーヴェンの響きを伝えていた。ベートーヴェンは作品2から、すでにして野人だったのだ。この後、ハイドン、モーツァルトから学んだ「型」を最大限に生かしていく。洗練も加えられたのが「4」。楽曲のそれぞれについては、十全に彼女の演奏が表現しつくしていた。

 第2回は2016年7月31日。<有馬みどり ベートーヴェン連続演奏会>第2回。

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第5番 ハ短調 Op.10-1

:ピアノソナタ 第6番 へ長調 Op.10-2

:ピアノソナタ 第7番 ニ長調 Op.10-3

:ピアノソナタ 第8番 ハ短調 Op.13 「悲愴」

 作品10の3曲は1798年、ベートーヴェンの28歳の作品。まずハ短調。この調性は、のちに「交響曲第5番 運命」で「ベートーヴェンのハ短調」を刻印する。若いベートーヴェンはそれまでの慣習だった、短調の響きを長調で解決することを好まなかった。彼は主長調であるハ長調を避けている。第2楽章は、同時代のフンメルの作品に似ているといわれる。アリオーソ様式の装飾に満ちたアダージオ。フィナーレ楽章は凝縮された表現。

作品10-2、第6番はヘ長調。作品2の3曲と似た構成の第2曲は打って変わってブッファの性格をもつ。ベートーヴェンの諧謔が随所に現われる。

作品10-3、第7番はニ長調。三連作の中では最終作がここでも大きい作品だ。前2作より一つ多い四楽章を用いた。冒頭楽章では、わずかな音の構成要素からこれだけ豊かな表現を生み出すことができた表現技法に感嘆する。ラルゴ・エ・メストは、その通りに悲哀の曲が沈み込む。第3楽章メヌエットでは、悲傷をもはや振り返らない人間の強さが、やさしさをきわめたドルチェで語りかけられる。歌なのだが人間の言葉を感じる。終楽章は楽想がまわるロンド。やはりベートーヴェンは人を笑わせようとする。中間部では激情、そして悲哀の短い回想。多様な表情が連続して「黒いユーモア」さえ聴かせて軽く終わってしまう。洒落た曲だ。

作品13。「悲愴大ソナタ」ハ短調は1799年に作曲された。ベートーヴェンがベートーヴェンになった記念碑的な作品だ。ここではすべての細部がベートーヴェンの血が通っている。熱くたぎり、絶望をぶちまけ、上にも下にも音を打ち込んでいく。かつてハイドン、モーツァルトの曲には聴いたことがない冒頭グラーヴェのフレーズは、なにをどうすればこんな響きが生まれるのか。第2楽章変イ長調のアダージオは名旋律だ。モーツァルトのハ短調K475に酷似するフレージングがあった。ベートーヴェンは甘美さを加え長い旋律を生み出した。終楽章はハ短調のロンド。

 有馬みどりのベートーヴェン<ソナタ連続演奏会>の第2回では以前にもまして、なおすばらしい演奏に聴き入った。「5」の冒頭から、この日に賭けた気迫が伝わる。特筆すべきは「6」の第1楽章で、調律・調整もあいまって千変万化の音色の変化を楽しませてくれた。つまり、彼女はピアノを弾くことが巧くもなったのだ! いずれはさらに大きなピアニストに化けることを、8月末でサロンを閉じてもやがて別会場で中期・後期を弾かれるときには誰の耳にも明らかになるだろう。彼女の背中を押してよかった。われ知らず涙がこぼれたのは「8・悲愴」の冒頭の和音を聴いた瞬間だった。紛れもないベートーヴェンのハ短調の和音が決まった。その響きしかなかった!

芦屋 山村サロン (平成28年8月31日 30年の歴史に幕を下ろした)
芦屋 山村サロン (平成28年8月31日 30年の歴史に幕を下ろした)

山村様にこの原稿を依頼したのが11月20日で、誠に手前勝手ながら、さくっとご引受頂いた。

今日こうして、原稿を頂いて非常に驚いた、400字原稿用紙にして18枚弱という長大なエッセイとしてまとめられている。そこには有馬みどりに対する、客観性を持った視点を貫かれ書かれている。

坦懐にして情熱的な言葉に感銘を受けた。

JSO 主宰 佐々木宏至