20161222

 

有馬みどり ベートーヴェン全曲リサイタル Vol.3によせて。

 

山村サロンの有馬みどり                    山村雅治 プロデュース

 

 198611月に開館した芦屋の山村サロンは、能舞台の上にスタインウェイのピアノを置く、そして客席は寄木細工が敷きつめられた平場であり、その気になれば社交ダンスも宴席を設けることができる多目的な小ホールだった。能楽をはじめとする日本の伝統芸能と、私の好きなバロックから現代までの西洋音楽の会など、文化の各分野においての様々な催しが主催者の数だけ30年間にわたって展開されてきて、20168月末に幕を閉じた。

 

 

 

 サロンは多面体だった。能楽の人には能楽堂であり、タンゴが好きな人にはダンスホールに変わり、文学者を招いてお話を聞くときには講座会場になった。美術作品を並べれば展覧会場だし、飲食ができるので宴会場にも変貌した。そこに一本の芯を通そうとした。現代音楽ができる音楽会場にしようと思った。そのこけら落としは三宅榛名氏と高橋悠治氏にお願いして、音楽会場としての山村サロンの幕を開けた。一年たち、二年たつうちに、ここで音楽会を開きたいと申し出てくれる音楽家が徐々に増え、企画に協力してくれる人も現れた。そこから創立9年目の阪神淡路大震災の被災時には、さまざまな分野の音楽家が震災チャリティーコンサートを開く会場ともなり、彼らとはいまも交流が続いている。

 

 

 

 現代音楽は、震災後は芦屋近辺に住む久保洋子氏、野田燎氏、ピアニストの大井浩明氏らにより継続して続けてきたが、いわゆるクラシック音楽での山村サロンの音楽会の特色はまず、マックス・エッガー、アンリエット・ピュイグ=ロジェ、イェルク・デムス各氏をはじめとするヨーロッパの巨匠たちが、彼らを知る日本人によって山村サロンの舞台に立ったことだろう。作曲家ホアキン・ニン・クルメル、オーボエ奏者ピエール・ピエルロ、バンベルク響のコンサートマスターだったポゴスラフ・レバンドフスキー各氏らの演奏は忘れることができない。特色のもうひとつは、若い演奏者の背中を後押ししてきたことだ。両親に連れられてやってくる人は、諸条件などの話は両親とした。しかし、ただひとりで来て、体ごとぶつかってくる若い演奏者が訪れれば、その情熱に打たれた。いや、むしろそんな人こそ「小屋」は応援しなければならない。有馬みどりには、しかしこちらから声をかけずにはいられなかった。

 

 

 

 有馬みどりの演奏を初めて聴いたのは、2009年の神戸芸術センターでのプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」だった。ピアノ2台による演奏で彼女は第2ピアノを受け持っていた。その音彩が輝いていた。音色にリズムにいのちがあり、なによりも覇気に満ちていた。のみならず表現の痛切さ、大胆な表現が連続し、音楽家としての非凡さは明らかだった。のちに話を交わす機会を得たときに、日本での師が野島稔氏と聞いて、なるほどと思った。野島稔氏のルナホールでのシューベルト「ソナタ遺作 変ロ長調」は強く印象に残る。沈潜した思念から人間の命の底を凝視した演奏。人間が死ぬこと、生きることを深々と語っていた。ピアニストであると同時にまぎれもない芸術家であって、有馬みどりもまた、そんなピアニストだったのだ。その後は機会があれば彼女の演奏会へ行き、彼女のさまざまな創造のとき、あるいは試行錯誤の試みを聴いた。

 

 

 

2

 

 山村サロンの有馬みどりは、20129.16日の<ヴァイオリンとピアノの昼下がり>   

 

ヴェセリン・パラシュケヴォフ(ヴァイオリン)と有馬みどり(ピアノ)のデュオに始まった。

 

シューベルト:ヴァイリンとピアノのためのソナタ 3 ト短調 D.408

 

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ  5 ヘ長調 Op.24

 

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 3 二短調 Op.108

 

チャイコフスキー:憂鬱なセレナーデ メロディー  ワルツ・スケルツォ

 

 

 

人の縁がもたらした企画で、かつて「無伴奏」で出演していただいたパラシュケヴォフさんに有馬みどりが選ばれた。いずれは彼女にサロンでソロのリサイタルを、と願っていたのだが、いわば前哨戦がこのような素晴らしいかたちで実現した。彼女にとって、これはまたとない合奏の機会。中学卒業後、単身ロシアへ渡り国立モスクワ音楽院ピアノ科に学び卒業。そんな彼女が、ヘンリック・シェリングに師事し、1973年からウィーン・フィルのコンサートマスター、1975年からケルン放送交響楽団の第1コンサートマスターを務めたパラシュケヴォフと合わせることは、ドイツ・オーストリアの巨匠たちの音楽を極めていくための一里塚になったことだろう。

 

 

 

シューベルトは「ソナチネ」とも呼ばれる。規模の小さなソナタで、教師生活をやめて作曲に没頭する生活を始めた1816年の作品だが、出版は没後の1836年を待たなければならなかった。コンサートを始めるにふさわしい佳曲。続けて演奏される。ベートーヴェンの「スプリング・ソナタ」は1801年の作品。音楽が好きな人は誰でも冒頭の旋律を知っている。有馬みどりはヴァイオリンが奏でる旋律を支えるピアノの音色、強弱、リズムのすべてに神経を張りめぐらせていた。楽譜は単純に見えるが、じっさいに音を出せば難しい。そして聴き物はブラームス。1888年に55歳で完成させた作品だが、晩年に向かうブラームスの作品はいよいよ研ぎ澄まされた美しさに底光りしていく。「諦観」があらわされるなどと書かれるけれども、私は彼の音楽に「諦観」など聴いたことがない。そのいくつかは、地上で最も美しい音楽だ。ヴァイオリン・ソナタ第3番も傑作のひとつ。同ソナタのなかで最も規模が大きい。構築はもはや「つくる意志」を抜けて自在なものを感じるし、曲の語る音楽は多彩であり、しかも響きが深い。この曲も冒頭に名旋律をもつ。パラシュケヴォフの音色は決して耽美に傾かず、むしろ微妙な影を宿したものだ。第2楽章の陰影と終楽章の光への情熱。有馬みどりも楽想に応じて敏感な音楽で縦横に支えていた。

 

 

 

2度目は意外な形で訪れた。2013729日の<坂口裕子ソプラノ・リサイタル>。ピアノ/有馬みどり

 

山田耕筰:赤とんぼ、野薔薇、風に寄せてうたへる春のうた

 

C.ドビュッシー:忘れられた小唄

 

I.ピッツェッティ:ペトラルカの3つのソネット

 

F.リスト:ペトラルカの3つのソネット

 

(主催/Javatel Sound Operations 後援/株式会社ジャバテル、北新地 天ぷら ひらいし)。

 

 

 

  坂口裕子氏はジュゼッペ・ヴェルディ国立音楽院を満点、最優秀賞で卒業。「ルチア」をレパートリーにもつオペラ歌手でもあり、このリサイタルのピアニストに有馬みどりを選んだ。その結果は上々。坂口さんが選んだプログラムはいわば通向きといえるものが主体で(ピツェッティの作品は、おそらく初めてお聴きになった方が多かっただろう)、広く知られているのは冒頭の『赤とんぼ』だけで、山田耕筰の歌曲では続いて『野薔薇』、『風に寄せてうたへる春のうた』4曲が歌われた。華やかなオペラの舞台の裏では、日本歌曲にも真正面から向き合って研鑽されていたのだ。声楽に合わせるのは初めてだったという有馬みどりさんのピアノも、前にヴァイオリンとのデュオをやった経験が生かされて、何も言うことはない。声楽は文字通りの人間が全身を使って奏でる声の楽器だ。「歌」の呼吸を、ピアニストは知らずに学び、体のなかに生かしていく。アンサンブルでは「人を生かす」「人の歌を引き出す」ことが求められる。その体験は、またソロに立ち返ったときに陰に陽に力になっていることだろう。

 

プログラムは音楽の多彩さを巡る旅であり、また3人の詩人の言葉を巡る旅でもあった。まず日本語で三木露風。次にフランス語でポール・ヴェルレーヌ。そしてイタリア語のフランチェスコ・ペトラルカ。きわめて濃密な時を聴衆を含めて、二人の音楽家とともに生きる音楽会になった。

 

 

 

 

 

そしていよいよ、有馬みどりのソロ・リサイタルが開かれた。20131123日の<有馬みどり ピアノ・リサイタル>。プログラムは以下の通りとなった。  

 

 

 

ベートーヴェン:ピアノソナタ 11 作品22 変ロ長調

 

BeethovenPiano Sonata No.11, Op.22 B Dur

 

ブラームス:4つのバラード 作品10

 

BrahmsBalladen Op.10

 

シューベルト:さすらい人幻想曲 作品15 D760 ハ長調

 

Schubert: Wandererfantasie Op.15 (D.760) C Dur

 

 

 

ブラームスをリクエストした。そのブラームスはすばらしかった! パラシュケヴォフとの二重奏、その練習時間を通じて多くのことを発見したにちがいない。プログラムに現れた作曲家は、いずれもヴァイオリンとともに音楽を生きたベートーヴェン、ブラームス、シューベルトだ。冒頭、まずベートーヴェンの「11番」が演奏された。1800年に完成した、若い作曲家の自信作だ。出版された楽譜には「大ソナタ」(Grande Sonate)と記されている。演奏は肩の力が抜けていらない力みがない。疾走して天翔るような始まりに、迷いが払拭された「あたらしい有馬みどり」を感じた。左手の低音のバスが終始的確に打たれて、小気味のいいベートーヴェンになった。若い作曲家の自信は、おそらくは作曲技法に関することもあったにちがいない。ハイドンやモーツァルトらのウィーンの伝統様式をすべて自由に操ることが示された。ベートーヴェンの<過去様式との別れ>であり、それゆえに胸を張ったのだ。

 

2曲目は「バラード」4曲。第1曲はスコットランドの民族詩「エドワード」に霊感を受けている。まだ若いブラームスの音楽は一見晦渋に見えるかもしれない。しかし、ひとつの出口を見つけると意外に判りやすい美しいピアノ曲なのだ。1854年に作曲された。この頃からクララ・シューマンへのブラームスの生涯にわたる愛が始まっている。ショパンやリストのバラードは激しいパトスを噴出させるものだった。ブラームスはちがう。大切な秘めた心を低い声で歌いぬく。心だけが音を超えて満ち溢れ、こぼれ落ち、まき散らされた香気が内面に沈み込んでいく。いずれは作品117118119など晩年のブラームスの世界を開いてみせていただきますように。

 

シューベルトの「さすらい人」は、第2楽章に自らの歌曲「さすらい人」の旋律を展開させたピアノ曲で、演奏は歌と合わせた体験が陰に陽に生かされていた。技巧曲でもあり、リストがこの曲に示唆されて「ソナタ ロ短調」を書いたともいわれる。有馬みどりは全身全霊をぶつけて「幻想曲」を生きた。

 

 

 

3

 

 

 

 2015年になった。ある夏の日、有馬みどりが山村サロンにやって来た。ひとつの突き詰めた決意を明かされた。ベートーヴェンのピアノ・ソナタを連続演奏会でやりたい。初めて聴いたとき以来、ほかの会場でも彼女の演奏を聴いてきた。ロシアに学んだ彼女は、あちこちをぶつかりながら自分の音楽を全体として表現できる音楽に、ベートーヴェンのソナタを選んだのだ。これは嬉しかった。ベートーヴェンは、私にとってもシェーンベルク、ブラームス、バッハに並ぶ格別の作曲家であり、語りたいこともたくさんある。

 

 

 

 第1回は2016228日。<有馬みどり ベートーヴェン連続演奏会>

 

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第1番 へ短調 Op.2-1

 

:ピアノソナタ 第2番 イ長調 Op.2-2

 

:ピアノソナタ 第3番 ハ長調 Op.2-3

 

:ピアノソナタ 第4番 変ホ長調 Op.7

 

 

 

 お客さまを集めようと思えば「月光」「悲愴」、そして「熱情」に限る。ダルムシュタットにいるピアニスト、旧友ペーター・シュマールフースは、「ベートーヴェン作品のリサイタルをやるときにはドイツでだってそうなんだ!」と嘆いていた。だから、これは彼女を知る会場でしかできなかった。

 

 

 

作品23曲は、1795年ベートーヴェンが25歳になる年、ウィーンに移ってすぐにハイドンの前で弾かれた作品だ。第1作はヘ短調。ハイドンもモーツァルトもヘ短調の作品は、あまり書いていない。冒頭の主題はト短調で書かれたモーツァルトの「交響曲第40番」の終楽章を想い起こさせる。第1楽章全体を通じて、展開の中でも長調の部分は少なくて短調の響きに支配される。第2楽章はヘ長調のアリア形式。メヌエットは正統の三部形式。終楽章は、若いベートーヴェンの激情がフォルティッシモの指示や特徴的な分散和音に刻まれている。

 

2作はイ長調。冒頭楽章の展開部はモーツァルトではなく、ハイドンの3部構成のフォルムで。そのなかで第58小節からのバスの上昇音型は革新的だ。第2楽章はさらに独創が際立つ。合唱音楽のようだ。こんなラルゴ楽章はかつてなかった。終楽章のロンドはモーツァルトに似る。

 

3作はハ長調。第1楽章の親密な誰かから呼びかけられるような開始。進展して属調での休止のあと、属短調へのいきなりの転調。展開部は変ホ長調へと移行し、などと調性のことを書いていればきりがない。前2作よりも演奏効果に富む冒頭楽章であり、この作品全体が弾いても聴いても印象に残る所以になっている。第2楽章、アダージオは歌の連続であり、休符に感情の力を刻んでいる。スケルツォは伝統的な三部形式。中間部の旋律が頼もしい。終楽章は形式としてはモーツァルトのもので、演奏効果が高いのはベートーヴェンが、この頃にはまだ聴衆を相手に演奏ができたことを改めて思い起こさせる。これら3曲、意気軒高たる青年作曲家/ピアニストが個性を現わし、自らの能力を胸を張って示した作品だ。

 

4番作品7。変ホ長調。この作品は長大な作品になった。「29番・ハンマークラヴィーア」の次に長い。冒頭楽章はかつては音楽大学の入学試験に使われた課題曲になり、思い出のある人も多いだろう。出だしからして弾くのは難しい。アクセントがおもしろい。第2楽章はラルゴ。表現力の豊かさが終結の直前に凝縮されて現われる。メヌエットも前作とはちがう。中間部のトリオの巧さはベートーヴェンは終生もっていた。終楽章も彼の作曲技法は自在に展開される。変ホ長調の作品では後年、管弦楽で「交響曲第3番 英雄」が書かれることになる。

 

 

 

有馬みどりのベートーヴェン演奏会の初回は以上4曲。初期の4曲で「ブラヴォー」の声が出た。有馬みどりは、たった一人に戻った音楽家の目で楽譜を読んだ。低音を傍若無人に鳴らす思い切りの良さがベートーヴェンの響きを伝えていた。ベートーヴェンは作品2から、すでにして野人だったのだ。この後、ハイドン、モーツァルトから学んだ「型」を最大限に生かしていく。洗練も加えられたのが「4」。楽曲のそれぞれについては、十全に彼女の演奏が表現しつくしていた。

 

 

 

 第2回は2016731日。<有馬みどり ベートーヴェン連続演奏会>第2

 

ベートーヴェン:ピアノソナタ 第5番 ハ短調 Op.10-1

 

:ピアノソナタ  6  へ長調 Op.10-2

 

:ピアノソナタ  7番 ニ長調 Op.10-3 

 

        :ピアノソナタ 第8番 ハ短調 Op.13  「悲愴」

 

 

 

 作品103曲は1798年、ベートーヴェンの28歳の作品。まずハ短調。この調性は、のちに「交響曲第5番 運命」で「ベートーヴェンのハ短調」を刻印する。若いベートーヴェンはそれまでの慣習だった、短調の響きを長調で解決することを好まなかった。彼は主長調であるハ長調を避けている。第2楽章は、同時代のフンメルの作品に似ているといわれる。アリオーソ様式の装飾に満ちたアダージオ。フィナーレ楽章は凝縮された表現。

 

作品102、第6番はヘ長調。作品23曲と似た構成の第2曲は打って変わってブッファの性格をもつ。ベートーヴェンの諧謔が随所に現われる。

 

作品103、第7番はニ長調。三連作の中では最終作がここでも大きい作品だ。前2作より一つ多い四楽章を用いた。冒頭楽章では、わずかな音の構成要素からこれだけ豊かな表現を生み出すことができた表現技法に感嘆する。ラルゴ・エ・メストは、その通りに悲哀の曲が沈み込む。第3楽章メヌエットでは、悲傷をもはや振り返らない人間の強さが、やさしさをきわめたドルチェで語りかけられる。歌なのだが人間の言葉を感じる。終楽章は楽想がまわるロンド。やはりベートーヴェンは人を笑わせようとする。中間部では激情、そして悲哀の短い回想。多様な表情が連続して「黒いユーモア」さえ聴かせて軽く終わってしまう。洒落た曲だ。

 

作品13。「悲愴大ソナタ」ハ短調は1799年に作曲された。ベートーヴェンがベートーヴェンになった記念碑的な作品だ。ここではすべての細部がベートーヴェンの血が通っている。熱くたぎり、絶望をぶちまけ、上にも下にも音を打ち込んでいく。かつてハイドン、モーツァルトの曲には聴いたことがない冒頭グラーヴェのフレーズは、なにをどうすればこんな響きが生まれるのか。第2楽章変イ長調のアダージオは名旋律だ。モーツァルトのハ短調K475に酷似するフレージングがあった。ベートーヴェンは甘美さを加え長い旋律を生み出した。終楽章はハ短調のロンド。

 

 

 

有馬みどりのベートーヴェン<ソナタ連続演奏会>の第2回では以前にもまして、なおすばらしい演奏に聴き入った。「5」の冒頭から、この日に賭けた気迫が伝わる。特筆すべきは「6」の第1楽章で、調律・調整もあいまって千変万化の音色の変化を楽しませてくれた。つまり、彼女はピアノを弾くことが巧くもなったのだ! いずれはさらに大きなピアニストに化けることを、8月末でサロンを閉じてもやがて別会場で中期・後期を弾かれるときには誰の耳にも明らかになるだろう。彼女の背中を押してよかった。われ知らず涙がこぼれたのは「8・悲愴」の冒頭の和音を聴いた瞬間だった。紛れもないベートーヴェンのハ短調の和音が決まった。その響きしかなかった!

 

平成281222

 

本日のプログラム

 

 

 

ベートーヴェン/ピアノソナタ第9番 ホ長調 作品141

 

ベートーヴェン/ピアノソナタ 第10 番 ト長調 作品142

 

 

 

休憩 20

 

 

 

ベートーヴェン/ピアノソナタ 第19番 ト短調 作品491 

 

ベートーヴェン/ピアノソナタ 第20番 ト長調 作品492

 

ベートーヴェン/ピアノソナタ 第11番 変ロ長調 作品22

 

 

 

 

 

<楽曲について>                          山村雅治

 

 

 

ベートーヴェン/ピアノソナタ第9番 ホ長調 作品141 (1899年頃までに作曲)

 

1楽章 アレグロ (ホ長調)

 

2楽章 アレグレット (ホ短調)

 

3楽章 ロンド:アレグロ・コモド (ホ長調)

 

 

 

前作「第8番 ハ短調 作品13」とは打って変わって、情緒の快活と技巧の平易があり、演奏会でよりは家庭で楽しまれたことだろう。パウル・ベッカーは、ベートーヴェンは悲劇的な人物と誤解されているが、この曲に見られるように人生の喜びを表現できる人だったと記している。それができたから、あれほどの深い悲しみを表現できたのだ、と。この曲は弦楽四重奏曲に編曲された。四声体の楽譜があらかじめピアノの楽譜に書かれていたようだ。

 

1楽章は、まず第1ヴァイオリンが他の三声のリズムの刻みに支えられて、二分音符で奏される。この和声的な第1主題に対して、第2主題はロ長調で音階的な旋律として現れる。リズム感覚は自由だ。あたらしい主題が奏でられる展開部にも、冒頭楽句に初めてフォルテの指定がつけられた再現部冒頭などにも、この曲でもベートーヴェンの創意は明らかだ。

 

2楽章はメヌエットの3部構成だ。ただし短調が用いられて気分は憂鬱だ。中間部トリオはハ長調。この部分も3部形式。

 

3楽章は、主調に回帰して再び快活なロンドが躍る。独創は、初めの主題に戻ったとき以降の調性の変転だ。ホ長調に戻らず下属調のイ長調になり、やがてナポリの和声を経過してイ短調が奏でられる。

 

 

 

ベートーヴェン/ピアノソナタ 第10 番 ト長調 作品1421899年頃までに作曲)

 

1楽章 アレグロ (ト長調)

 

2楽章 アンダンテ (ハ長調)

 

3楽章 スケルツォ:アッサイ・アレグロ (ト長調)

 

 

 

ベートーヴェンの弟子、アントン・シントラーの言葉がよく知られている。作品142曲は「夫と妻、または恋人どうしの会話」を表している、というのだ。この評言はト長調の曲のほうがわかりやすい。ホ長調ソナタの冒頭は朗唱のようだ。第1楽章からいきなり声が言葉を語りかける趣きがあるのはことらのほうだ。第1主題は8小節から成るが、ピアニストは「第1拍を強拍」として整理できない人間の肉声が4小節も続くのだ。第2主題は3度の和音で楽しげにニ長調の響きを鳴らす。

 

2楽章は変奏曲。主題、三つの変奏、終結部。曲の終わりがおもしろい。フォルティッシモの爆発にピアニッシモの和音が続き、休符が現われて。

 

3楽章は野人のスケルツォだ。これもどこが第1拍なのか摑みづらい。バグパイプのような響きも聞こえる。バガテルがそのままソナタの終楽章になった。

 

ベートーヴェン/ピアノソナタ 第19番 ト短調 作品491 (1805)

 

1楽章 アンダンテ(ト短調)

 

2楽章 ロンド:アレグロ(ト長調)

 

 

 

ベートーヴェン/ピアノソナタ 第20番 ト長調 作品492 (1805)

 

1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ (ト長調)

 

2楽章 テンポ・ディ・メヌエット(ト長調)

 

 

 

 この2曲は出版されたのは1805年だが、じっさいは数年前に作曲されていた。作品492の第2楽章の旋律は、1800年に書かれた作品20の「七重奏曲」の第3楽章と同じであり、その前にこれらソナタは書かれていた。音楽学者ハンス・シュミットによる推論では最も古くて1876年にはできていたという。ベートーヴェンが知らないところで弟のカールが出版社に送り込んだ。子どもの練習曲として作曲家/ピアノ教師ベートーヴェンが書いた<2楽章しかない2つのやさしい小ソナタ>なのだ。 <小ソナタ>は「ソナチネ」。大規模な「ソナタ」ではない。

 

 

 

 

 

ベートーヴェン/ピアノソナタ 第11番 変ロ長調 作品22(17991880)

 

1楽章 アレグロ・コンブリオ (変ロ長調)

 

2楽章 アダージオ・コン・モルト・エスプッシオーネ (変ホ長調)

 

3楽章 メヌエット (変ロ長調)

 

4楽章 ロンド アレグレット (変ロ長調)

 

 

 

 若い作曲家の自信作だ。出版された楽譜には「大ソナタ」(Grande Sonate)と記されている。第1楽章、冒頭4小節で息をととのえ助走をつけて跳びあがる。滑空する音楽の魂だ。3度の上昇と下降はのちの「第29番・ハンマークラヴィーア」を思わせる。後半の下降3度と上昇6度もまた。

 

2楽章は夢に浸る夜想曲のようだ。ソナタ形式に則ったロマン派の作曲家、ベートーヴェン。

 

3楽章はメヌエット。ロベルト・シューマンは中間部のトリオの書法に感銘を受けた。8小節のフレーズ2つが繰り返される。

 

4楽章はロンド。主題の回帰部分でのリズムを上げていく手法はめざましい。一拍につき4音、6音、8音から、半拍に5音。スビト・ピアノの効果も独創的だ。若い作曲家の自信は、おそらくは作曲技法に関することもあったにちがいない。ハイドンやモーツァルトらのウィーンの伝統様式をすべて自由に操ることが示された。ベートーヴェンの<過去様式との別れ>であり、それゆえに胸を張ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

有馬みどり プロフィール

 

 

 

西宮生まれ。 3歳から母の手ほどきで始める。

 

中学卒業後、'92 単身ロシアへ渡り 国立モスクワ音楽院付属中央音楽学校 ピアノ科に入学。

 

'95 同校修了。 '02 Australian Institute of MusicSydney)に奨学金を得て入学。

 

'86'87、全日本学生音楽コンクールピアノ部門 西日本大会第2位。

 

'87 PTNA コンペティション E級銀賞、併せて全日空賞受賞。

 

'98 第1回 いしかわミュージックアカデミー音楽賞受賞。翌年

 

'99 には米国アスペン国際音楽祭に招かれる。

 

'04&'05 ブルガリア国立ソフィアフィルハーモニー 主催 ワークショップに参加、その時の演奏が認められ二年連続で最優秀演奏家に選出される。

 

'05 ブルガリア在日本大使館主催コンサートに抜擢され、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番を好演(N・トドロフ指揮) '06 改めて同フィルの定期公演に招かれ、プロコフィエフ作曲ピアノ協奏曲第2番を共演。

 

2006 第10回松方音楽賞大賞受賞。

 

2007年には 兵庫県立芸術文化センター主催「ワンコイン・コンサート」に出演。

 

また、'09 の大阪 いずみホールでのリサイタルは記憶に新しい。近年は室内楽や伴奏にも力を注ぎ、ソロ活動以外でも注目を集めている。

 

2011年は女性ピアニストでは初めて、リスト超絶技巧練習曲全曲を北海道、東京、関西、沖縄で敢行した。

 

2012年各地での演奏活動、2013年のリサイタルはベートーヴェンの大フーガ、リストソナタ他を弾ききった。

 

2014 ソプラノ坂口裕子とNHK-FM リサイタルノヴァで「ペトラルカの3つのソネット」 リスト他

 

近年は室内楽や伴奏にも力を注ぎ、ソロ活動以外でも注目を集めている。

 

これまでに 野島 稔、 V,マカロフ師事

 

 

 

 

 

主宰 JSO Javatel Sound Operations

 

お問合せ JSO フリーダイヤル 0120-961-891

 

メール info@jso-music.com